会長のあいさつ NPO法人 石川・宮森630会 宮森630会 宮森小学校 6月30日 ジェット機墜落事故

2016年 069





平成29年8月
命と平和の語り部 NPO法人 石川・宮森630会

会 長  久高 政治

「子らねむる Z機事故碑や 日傘閉ず」當間 タカ子(群星句会)

 あの忌まわしいジェット機墜落事件から早や58年が経ちました。50周年を機に、「ジェット機事件を風化させず、後世に語り継いで行こう」と石川・宮森630会を立ち上げました。語り部や関係者が年々減少していく中で、少しずつ証言を集め、写真や資料を収集し、それを証言集、資料集として発行してきました。修学旅行の平和学習として、大学生や一般の団体等も平和研修の一環として展示会場に訪れるようになっています。

 今年の6月30日には、例年にも増して多くの参列者による平成29年度慰霊祭を挙行しました。「6月になると、動悸が激しくなって夜も眠れないんですょ。」「息子が生きていたら、今ごろ楽しい家庭をつくって、私も孫に囲まれて喜んでいる姿を思い起こすんですょ。」遺族にとって、過ぎ去った年月は癒しとはならず、悲しみの深みへと続いているのです。この事件によって亡くなった方々や一生消えない傷を負った方々の無念さ、遺族の悲しみが今なお続いていることを鑑みたとき、この事件はまだ終わっていないことを実感します。

 石川・宮森小学校米軍ジェット機墜落事件は、「米軍政府は猫で、沖縄はネズミである。ネズミは猫の許す範囲でしか遊べない。」(1946.4.18軍民協議会議事録―海軍軍民政府・政治部長J・T・ワトキンズ少佐の発言)「沖縄の自治は神話である。」(1964.3.5金門クラブでのキャラウェイ高等弁務官演説)に示される沖縄住民の人権が蹂躙され、憲法と法律の保護が届かない米軍統治時代に引き起こされました。沖縄戦終了後、米軍は住民を難民収容所に収容している間に住居地域や田畑を没収して広大な基地建設を推し進めたのです。そして、1950年の朝鮮戦争後、米国は中国やソ連の台頭に対処するために極東の軍事戦略を練り直し、極東における米軍のプレゼンスを確立していくことになります。1953年4月に土地収用令(公布施行―米軍民政府)を発し、53年~55年に銃剣とブルドーザーによる大規模な強制土地収用を行い巨大な基地建設を推進していきました。拡張した基地に、53年に岐阜県と山梨県に移駐した海兵隊が地元住民の反対運動に直面し、56年に米軍統治下の沖縄に移転したのです。

 石川・宮森小学校米軍ジェット機墜落事件が沖縄の基地問題の象徴的事件と言われる所以は、米軍統治という極めて特殊な背景の下で住民の基本的人権が奪われ、米軍の暴虐が吹きすさぶ中で基地の集中化が進められた結果、世界的にも類を見ない大惨事を引き起こしたのです。

 事件から58年経った今日、沖縄の現状は普天間基地、嘉手納基地合わせて年間43,000件(1日約117件)余りの騒音被害が報告されており、以前より格段に増加していることが伺えます。いつでも、どこでも、石川・宮森小学校米軍ジェット機墜落事件と同様な事件が起こるかもしれない恐怖が私たちを取り巻いています。

 基地のない平和な沖縄を築くために、私たちも微力ではありますが、事件を語り継ぐ活動を通して努力して参ります。

沿革

2008   8月 「宮森630館設置委員会」結成(会長:平良嘉男)

  2009 6月 50周忌慰霊祭

    2010 3月 「石川・宮森630会」結成(会長:豊濱光輝)

 2010 9月  証言集『沖縄の空の下で①』発行

    2011 5月  証言集『沖縄の空の下で②』発行

    2011 11月 証言集『沖縄の空の下で③』発行

   2012 2月 NPO法人取得 NPO法人「石川・宮森630会」となる

   2013 5月 資料・証言集『命の叫び』発行

        2014 6月 事故後55周年大同窓会開催

                         現在に至る

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