会長のあいさつ NPO法人 石川・宮森630会 宮森630会 宮森小学校 6月30日 ジェット機墜落事故

会長 豊濱 光輝 resize





平成22年6月
命と平和の語り部 NPO法人 石川・宮森630会

会 長  豊濱 光輝 

1959年6月30日午前10時40分頃、突然、米軍のジェット戦闘機が石川市6区5班・8班(現うるま市石川松島区)そして、石川市立宮森小学校(現うるま市立)に墜落炎上し、前代未聞の大惨事となりました。

6区5班に墜落した衝撃で跳ね上がり5班・8班の家々を押しつぶし、隣の宮森小学校2年生の3教室にジェット燃料を撒き散らしながら炎上させコンクリート建て2階6年3組の庇に激突。胴体の一部は、教室に突っ込んだのです。

この事故で住民6名、学童11名の尊い命を奪いました。重軽傷児童154名、住民56名を出す大惨事。まるで一瞬にして生き地獄の校庭でした。

県民4人に1人が犠牲になった、あの悪夢のような沖縄地上戦をくぐりぬけ命拾いした住民は、戦争のない平和な時代を迎えて日常の暮らしを守るため一生懸命働いていた。

1959年といえば終戦14年のことである。亡くなった17名の内5名は悪夢の戦争を生き抜いてきた人たち、そして12名は、戦後生まれである。沖縄戦で多くの命を失った県民にとって戦後の命の誕生は、まさしく希望の星であった。それだけに遺族をはじめ関係者の嘆き悲しみ、そして怒りが尽きる事はなく、その心の傷は50年たった今日まで引きずって生きてきました。

2009年6月30日は事故から50年の節目にあたる年で、当時2年生だった平良義男さんが校長として赴任。あれだけの大惨事を風化させてはならないとの思いから、遺族や当時の教職員、そして同級生に呼びかけ「石川・宮森630館」設置委員会を設立しました。

遺族をはじめ、教職員、同級生は長い沈黙を破り、重い口を開くようになりました。それぞれの立場の生の証言と同時に遺族やマスコミ関係者から遺影、その他写真資料約300点余が寄せられました。

平良校長が立ち上げた「石川・宮森630館」設置委員会を発展拡大し、宮森小PTA、当時の同級生や教職員さらに地域の住民が一丸となって、常設資料展示場「石川・宮森630館」を建設するため、命と平和の語り部「石川・宮森630会」を組織、引き続き会館建設のための寄付募集を行っております。この会は、建設を推進する会として、1口1000円でうるま市民をはじめ県民そして全国民に広く呼びかけています。

「忘れたい、忘れてほしくない、忘れてはいけない、私たちは死にたくなかった。」この言葉は悲しくも命を奪われた17名の叫びとして私は受け止めておりま す。どうか、全国の皆様命と平和の尊さを訴えるジェット機墜落事故の常設資料展示場「石川・宮森630館」の建設にご協力下さいますようよろしくお願い申し上げます。