事故の概要 宮森小学校 NPO法人 石川・宮森630会 宮森630会 6月30日 ジェット機墜落事故
1959年6月30日午前10時40分頃、カデナ基地所属のF100ジェット戦闘機(ジョン・シュミッツ機長)が
離陸後時速463キロ、高度約300 メートルに達した時、エンジン火災と危険を知らせる警告ランプが点灯。
搭載していた25ポンド爆弾四発を南西の海に投棄し、カデナ基地に引き返そうとしたがエンジンが爆発したので
パイロットは脱出し、機体は石川市6区5班・8班(現うるま市石川松島区)に墜落し、その衝撃で撥ね上がり、
付近の家々を引きず るようにしながら北西の方向約150m先、2時間目が終了した後のミルク給食中の
宮森小学校に激突、炎上しました。
この事故により、宮森小学校の生徒が11名(後に後遺症で1名が23歳で死亡)、地域住民が6名死亡しました。
重軽傷者も210名に達し、住宅27戸、公民館1棟、校舎3教室を全焼。住宅8戸、校舎2教室を半焼させる
大惨事となりました。
当初、事故はエンジントラブルであり、不可抗力であったと説明されました。
(夏空の雷が思いがけない落雷したようなもので、手のつけようがなかったことを、
特に察知してほしい - 空軍司令官スミス少将 1959年7月3日 琉球新報)
ところが、事故から40年後にQAB(琉球朝日放送)によって、不可抗力の事故ではなくて、エンジントラブル以前の
「整備不良」が原因だったことが米軍資料で明らかにされました。爆弾を四発も搭載していることも県民には
隠されていたのです。
さらに、2016年6月30日付「沖縄戦後新聞」(琉球新報発刊)で、事故機はクラスAレベルの事故(機体が大破したり、死者が出たりする)が事故前年の58年に168件発生しており、開発が開始された53年から運用停止になる90年までの38年間の間に事故で死亡したパイロットは324人に上るという驚くべき事実が明らかにされています。事故機はとんでもない欠陥機だったのです。
宮森小学校 NPO法人 石川・宮森630会 6月30日 ジェット機墜落事故 宮森小学校 宮森630会
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ジェット機墜落事件の特徴
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