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2021.06.26

県庁ロビーでの「石川・宮森小ジェット機墜落事件写真展」開催のお知らせ

毎年恒例の県庁ロビーでの写真展を6月28日(月)~7月2日(金)の期間実施します。コロナ禍でなにかと不自由な毎日ですが、まだご覧になってない方は、是非この機会に足を運ばれて下さいますよう案内いたします。

  下段に昨年の写真展見学者のアンケートの一部を紹介します。

県庁写真展アンケート記載感想

2020年6/29~7/3

 

20代 北谷町 初 職場

  ・見やすい、分かりやすい

 20代 浦添市 初 OTVニュース

  ・むごい。『危険ととなりあわせ』の意味を改めて知ることができた

 0代 那覇市 初 職場

  ・前に「石川・宮森ジェット機墜落事件」を取りあつかった2012年の映画「ひまわり」を観たことがあったので、とても印象に残っています。(沖大卒なので加藤先生つながりで知った)。もう一度見たいと思う映画でした(日本語字幕があれば買いたいなと)。私は聴覚障害持ちなので。すごく勉強になりました。

 30代 県外 初 新聞

  ・たくさんの写真で当時のすさまじさ、悲惨さを知ることできました。ぜひ今後とも継続して頂きたいと願っております。

 30代 県外 初 偶然来庁

  ・沖縄戦を含め過去の記憶の継承が困難になっていく中で継続してこのような取り組みが行われていることに対して関係者の強い意思を感じる。願わくば、多くの10代~20代にこの事件を知ってほしい

 30代 那覇市 初 職場

  ・基地がある事、事故が起こるこわさを感じました

 40代 那覇市 初 那覇市職労速報

  ・なんといっていいかわからないほどの悲惨さ、むざんさにいかり、くやしさなど複雑な思いです。命ほど大切なものはない、生命をおびやかすものはおかないでほしいと切に願います

 40代 那覇市 3回目以上 職場

  ・この取組を今後も続けて頂きたい

 40代 県外 初 職場

  ・イベントの周知により、この事件を知りました。これからも沖縄県民として生きるつもりですので忘れない様にしなければならないと共に、まだ知らない人に伝えていく必要があると感じました。

 50代 名護市 初 たまたま来庁

  ・過去を知ることは未来への一歩

   子どもたちも、自分の生まれ育った地で何があったのか、歴史を知ることで故郷に愛情をもち、自身と誇りをもってどこへでも翔たいていけると思います。

   すばらしい取組に感謝です!!

 60代 那覇市 初 たまたま来庁

  ・この思いを語り継ぐことはとても意義あると考えます。大変かとは思いますが、かげながら応援しております。

 60代 那覇市 初 新聞

  ・決して忘れない 基地あるが故の子どもたちの死 一生消えない傷

   二度とあってはいけない 人間を殺傷し、自然を破壊する軍隊はこの地球からなくしてしまうことがこの子たちへの誠意だと思う。

 60代 名護市 初 新聞

  ・自分の生まれた年に起きた事件です 戦争さえなければこの様なことは起きなかったはずです 戦争に負けた責任を日本人は取らず多くを沖縄に押し付けている。このことを日本人、日本政府は当たり前と思っている。日本人、日本政府が沖縄を日本国民と思っているならばこの様なことは絶対あってはならないと思う。この事件を絶対風化させてはならないです。

 60代 那覇市 3回目以上 新聞

  ・石川・宮森ジェット機墜落事故については直接宮森小でも話を伺った事もありますが、今日、県庁ロビーで事件当時の写真を見て、改めて沖縄から「米軍基地撤去」への思いを強くしました。

   県庁のみならず、パレット久茂地内でも展示してもっと多くの人に知ってもらいたいです。

   会報10号に石川ひまわりキッズシアターがイヒチャー群星パートⅡ 11月予定のあいさつ文が掲載されていましたが、子ども達へ平和の思いがつながっているんだなあーと思いました。劇団の皆さん、関係者の皆さん頑張って下さい。

 60代 那覇市 初 新聞

  ・図書館司書として、6月30日に本を読みきかせするように努めています、が、勉強不足を反省し今回伺いました 事故は私の生まれた年 60年経ってもこのイカリ、悲しみは消えませんね まだまだこの様な展示を続けていただきたいです ありがとうございます

60代 糸満市 初 TVのニュース

  ・今までなかなか写真展に来る事が出来なかったが今回は新しく発刊された「石川・宮森の惨劇」も手に取って見る事が出来てその内容に大いに感動しました

   求めていた事故原因及び米軍とのやりとりなど今まであまり知られてなかった事が判明してノドにささっていたトゲがとれた感じです。編集された方々はほんとうにごくろうさまでした

   追記:島袋力夫さんとも会場で会えてうれしかったです

      これからもお元気で会の活動等がんばって下さい

 60代 県外 初 通りすがり

  ・私は不屈館などで以前にも事件のことは知っていました。私は19597.1生まれ。事件の翌日です。前世とか生まれかわりとか信じていませんが、亡くなった方々の生命を受けついで生きていきたいと思っています。

 70代 うるま市 初 たまたま来庁

  ・苦しい思いで見ました。見たくないけど見なくてはいけない。現在基地建設に反対すべきです。楽な所ににげてはいけない。

 70代 糸満市 初 新聞

  ・石川・宮森630会の皆様の活動に敬意を表します。1959年当時、10歳でした。ジェット機つい落のことはあまり記憶になく、成人してから沖縄の戦後史を学ぶなかで知りました。宮森小の空き教室に資料室が設けられたと聞き、夏休みに友人たちと訪ね、お地蔵様に手を合わせました。語り紡いでいくことはとても大切ですね。点と点が結びつき、沖縄の現在が見え、未来を創る力になるのではと思います。フテンマにオスプレイが強行配備されるその日、フェンス側で630会の元会長さん(ごめんなさい、名前失念しました)と「がんばりましょう」とひと言言葉を交わしたことを思い出します。

 70代 うるま市具志川 初 新聞 

  ・具体的にジェット機の落ちていく様子がわかるように展示されていて良かった。写真がリアルで良い。大学生の死は、この米軍墜落がずっと苦しめてきたことの証しで母親の口悔しさが伝わって来て怒りと涙が出た。

 70代 中城村 初 新聞

  ・あのときは中学生でニュースで知った。あのアメリカ世の時代、何をやっても誰も止められなかった。今でもくやしい思いだけが残る。今の沖縄の現状もくやしい。何時青い空、青い海を取り戻せるのか

  70代 那覇市 初 新聞

  ・私は中学2年の時でした。波之上ビーチを走っている時大きな音が聞こえた。まわりを見渡したが、なにもない海の東の方からの音。これがジェット機ついらくの事故だったとは知らなかった、その後又ついらくがあった。沖縄はまだアメリカの支配から終わってない。形だけの本土復帰だ。

   60年忌を心から祈り、基地をなくす事をかんがえなければいけない、皆んなで。

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